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ナイチンゲール誓詞『われはわが手に託されたる人びとの幸せのために身をささげん』
保健学科の玄関近くに建っているナイチンゲール誓詞の碑は、昭和58年に九州大学看護学校と改称された年から数えて35年を記念して、建てられたものです。この間の卒業生(985名)が、看護教育の更なる発展を願って、玄関前に庭を築き、ヤマモモの木の下にナイチンゲール誓詞(第六章)の碑を寄贈されました。
吉田とめ女史は、明治9年5月福岡県に生まれ、明治28年福岡県立病院看護養成所に入学、当時の病院長であった医学博士大森治豊先生の信任厚く、直ちに東京赤十字病院へ内地留学に推され、帰学後の明治36年4月、福岡医科大学創立されるや看護長を命ぜられ引きつづき総取締りとなり、歴代の院長に仕えて看護婦養成所の発展に尽力されました。
その後各科の新設に伴い、眼科、皮膚科、耳鼻咽喉科の看護婦長を歴任され、明治41年、九州大学佛教育青年会を発足するや、しばしば看護婦にも修養講話会を催され若葉会と命名され、看護婦の修養と親睦の会として今日に発展し本学看護婦の象徴となっています。退官後も雑誌「若葉」の発行など、生涯を本学の看護婦道の向上のため尽力されましたが、昭和38年1月29日92才で没せられました。同年5月、若葉会創立60周年記念祝典に当り記念事業の一として胸像が建立され、創始者としての功績を讃えることになりました。